不登校SOSを立ち上げた理由…私の恥部を告白します

不登校SOSを立ち上げた理由…私の恥部を告白します

はじめまして、不登校SOSを運営しております前田と申します。

不登校SOS-原因不明の不登校・登校拒否解決法は
小中高生のお子さんの不登校や引きこもりにお悩みの
お父さんやお母さんのお役に立てればと思い立ち上げました。

お子さんの現状を私は知ることができません。

不登校が長期化して完全引きこもりの状態なのか…
すぐ感情的になり家庭内暴力がひどく壁が穴だらけの状態なのか…
非行に走り全く家に帰って来ず人様に迷惑をかけている状態なのか…

私にはわかりません。

しかし、これだけは断言できます。

不登校も登校拒否も引きこもりも必ず治ります。

正しい方向性で、
正しい順番で努力すれば、不登校は必ず治ります。

引きこもりも、いじめも
家庭内暴力も非行も必ず治ります。

正しい努力をすれば治る。

まずこれを信じて下さい。

お父さんもお母さんも不安でいっぱいの毎日を
送られていると思います。

  • 子どもが部屋にこもってしまい全く会話していない…
  • 何をすればいいのかわからず半ば諦めかけている…
  • 一生このままなのか…と思うと夜も眠れずノイローゼ気味…

本当に辛い時期を過ごしていると思います。

しかし、絶対に諦めないで下さい。

正しいアプローチができれば
不登校も引きこもりも必ず解決する!

これだけは信じて欲しいのです。

なぜ、そんな事が言えるのか?

私が不登校に悩むお子さんの
問題を解決した経験があるから、です。

と言っても
私は医者でも心理カウンセラーでもありません。
大阪にある学習塾で英語の講師をしております。

塾の先生がなぜ不登校解決法を教えるの?

そんなお気持ちもあろうかと思います。

実は、私も不登校で引きこもりだったのです。

「人生最大の恥部」

と数年前までずっと隠してきましたが
今ではこの辛い時期を乗り越えた経験こそ
不登校や引きこもりに悩む生徒本人、
そして保護者である親御さんやご家族の役に立てると感じております。

そこで本当に恥ずかしいのですが、
私の不登校・引きこもり体験を
少しお伝えさせて下さい。

実は、私が不登校になったのは、
小学校でも中学校でも高校でもありません。

なんと・・・幼稚園でした。

そうです、

幼稚園児の頃から不登校だったのです。

まぁ、不登校というよりは
登園拒否や登園渋りという表現の方が
正確かもしれません。

正直、毎朝、幼稚園に行くのが
嫌で嫌で仕方がありませんでした。

校門の前まで
母親と手をつないで通園するのですが
門の前まで来ると途端に帰りたくなるのです。

大声でギャーギャー泣き叫び、
幼稚園の先生のネックレスを引きちぎり
園長先生を蹴飛ばしてとにかく抵抗しました。

幼稚園に行ったら最後、
親から捨てられるのではないか…

という不安があり、
それだけは嫌だと全力で抵抗していました。

私の家庭は、いわゆる嫁姑問題を抱えており
祖母と母の関係が悪かったのです。

しかも、それを父をうまく解決できなかったので
父と母の関係も決して良いとはいえませんでした。

児童心理学の観点から考えると
母もずっと不安や不満を抱えていたため
子ども(私と弟)の子育てに集中できなかったのが
根本的な原因ではないかと考えています。

※注意※
これは知識をつけた今だからこそ分析できますが
当時はこんな事はわかりませんでした。

もちろん、小学校に入学しても不安は変わりません。

不登校を続け毎朝泣き叫ぶはずでした。

しかし、事件が起こります。

私の小学校入学式の翌朝、祖父が急逝したのです。

私の実家は
「祖父が社長、父が専務」という自営業者で、
小さな会社だったので仕事が回って行きません。

そこで母が急遽ピンチヒッターとして
会社で働く事になったのです。

私は突如「鍵っ子」になりました。

父も母も慣れない仕事ですから、
毎日疲れた様子で夜遅くに帰宅します。

子どもながらに感じました。

「お父さんもお母さんも頑張っているんだ。
僕がその邪魔をしてはいけない」

私は、祖父が亡くなった途端「良い子」になりました。

それまでの不登校(登校拒否)がウソのように
毎日楽しそう(なフリをして)学校に通いました。

もちろん、私の心境は何も変わっていません。

捨てられるかもしれない…という不安、
学校に行きたくない…という気持ちを押し殺して
親に心配をかけまいといつも笑顔で毎日楽しそうに学校に通いました。

しかし、バブルも弾けてしまい
ウチの会社は立て直せる気配がありません。

バブル前に買った家のローン(毎月30万円)を支払うために
両親は必死で私と弟を育ててくれました。

そして、私と弟は大きくなりました。

心の奥底に大きなシコリを残したまま…です。

小学校6年、中学校3年、高校3年、浪人1年、大学4年の合計17年間、
捨てられるかも…愛されていないかも…という不安を押し殺して
私は優等生を演じ切りました。

毎日大変な親に心配をかけないために、
成績は常にトップクラス。

中学ではトップ5%に入り、
高校は地域ナンバー1の進学校に入学しました。

親の期待に応え続けたのです。

事実、親は私を自慢の息子だと思っていたようで
ご近所さんにも鼻高々だったようです。

今思い返せば、高校入学時点で
僕は完全に燃え尽き症候群でした。

もう何もしたくありません。。。

帰宅部をしようと思いましたが、
何か体を動かした方が良いという親のアドバイスにしぶしぶ従い
運動系のクラブ活動に参加し副キャプテンも務めました。

しかし、当時から自分を押し殺して我慢して生きている事は
自分でもうすうす感じていました。

親とケンカして揉めると私はモノに当たりました。

こういう時、怒りの矛先は
一番憎むべきモノに向かいます。

私が一番憎んでいたモノ、
それは家そのものでした。

私にとって家は憩いの場や気が休まる場ではなく
ひたすら自分を押し殺して
生きなければいけない場所だったのです。

ですから、その家を破壊しました。

今でも私の実家の壁は穴だらけです。

全て私が壁を殴ったり蹴ったりして開けた穴です。

「そんな子どもに育てた覚えはない!」

父も母も毎回私を叱り、私を嘆きました。

正直な気持ちを言えば、
親を本気でぶん殴ってやりたかったです。

代わりに、自分を傷つけようかとも思いました。

つまり、自傷行為ですね。

でも、親が苦しんでいる事は
痛いほどよくわかっていましたから、
それはいけないと思い留まったのです。

また、私の祖母が助産婦だったせいか、
「命を粗末にしてはいけない」という家庭教育を
受けていたので自傷行為も出来ませんでした。

代わりに標的になったのが「家」だったのです。

今、思い返せば…
なんてバカな事をしたんだろうと思えます。

本当は我慢している事、
本当はやりたくない事までしている事を
親に正直に言えばよかったのです。

しかし、当時はまだまだ子どもで、
どう表現すればよいのかわかりませんでした。

親に気づいてほしかったのです。

そのために必死に壁に穴を開けました。

壁を殴りながら

「父さん、我が子がこんなに苦しんでいる事に
なんでわかってくれないだよ!」

壁を蹴りながら

「母さん、母さんが誰かに自慢するために
俺は生まれてきたの?」

と心で泣き叫びながら暴れていました。

必死にSOSのサインを発していたのです。

しかし、親は私を暴れん坊としか理解せず
私はますます心を閉ざしていきました。

その後、大学受験に失敗し一年浪人したものの、
無事、地元の国公立大学法学部に進みました。

弁護士になってほしい

という親の期待に応えるためです。

私は文学部歴史学科に進んで歴史の教師になりたかったのですが
司法試験に合格するには法学部しかないと思い、
行きたかった文学部を辞めて親の期待に応えました。

倍率が24倍を超える試験に合格したのです。

しかし、私の精神は既に限界でした。

自分のやりたい事を、
自分の意思を一切押し殺して生きてきたのです。

親にとって都合の「良い子」を
ピエロのようにずっと演じてきたのです。

メッキが剥がれるのは時間の問題でした。

しかも、今度は、日本一難しい資格試験と言われる
司法試験にチャンレンジし合格して
親の期待に応えなくてはいけません。

合格したらやりたくもない弁護士という仕事を
一生続けなければなりません。

弁護士になりたい人にとっては最高の職業だと思います。

※事実、私の大学時代のゼミ仲間や
先輩、後輩には弁護士や裁判官、検察官がたくさんいます。

しかし、私は弁護士になりたいなんて思った事は
一度もありませんでした。

正直、想像するだけで地獄でした。

死にたい、と思いましたが
そんな事になれば親が悲しむと思いました。

この期に及んでも
親の顔色を伺って生きているのです。

何かしようと考えると(実際にはそうでなくても)
親が横から口出しをしてきます。

自分の意思を犠牲にしてでも親の意思を尊重してしまうのです。

もういい加減にしてくれ!

何度も心の底で叫びました。

お前らの期待にいつまで応えれば俺は開放されるんだと。
どこまで良い子をしてりゃ俺は落ち着けるんだと。
俺の人生は、お前らのモノなのかと。

発狂寸前の4年間でした。

やりたくもないのに合格なんてできるわけがありません。

なんせ相手は日本最高峰の超難関資格試験です。

私は3年連続で足切り点さえクリアーできず不合格になりました。

当然、親は私を叱責します。

あんなにお金をかけてやったのに…

口には出しませんが、
両親の顔は私にそう伝えていました。

「俺はお前の投資物件じゃねぇーよ!」

と心の中で叫んでいました。

そして、この3年連続不合格から
私の人生は急降下していきます。

親の期待に応えるべく精一杯やってきたのに
ゴミのように見捨てられたと感じた私は
燃えカスのような生活になりました。

大学3年頃から
不登校ならぬ「引きこもり」になりました。

大学4年が近づいても就職活動はしませんでした。

友達は、どんどん内定を取っていきます。

超有名商社やメガバンク、財務省…
これで人生安泰と言われる企業ばかりです。

しかし、私はキャリアを投げ捨てました。

就職活動も公務員試験も司法試験も一切受けずに
自分の部屋に完全に引きこもったのです。

当然、親と衝突します。

親からすれば、私が引きこもる意味がわかりません。

不自由なく育ててやったのに
この親不孝者!

親は私を責めます。そして、私も対抗します。

(※後半へ続きます)

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